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HISTORY ホテルオークラの歴史

●創業者と一族の想いがそこかしこに、今も息づく。

1962(昭和37)年5月に開業したホテルオークラ東京は、帝国ホテル東京、ホテルニューオータニと共に、日本の老舗ホテル御三家と称されています。創業者は、戦後の十五大財閥に数えられた大倉財閥二代目大倉喜七郎。彼は、音楽、美術、食文化、スポーツなど多彩な分野に造詣が深く、感性豊かな粋人でありました。このためホテルオークラ東京は、おもてなしや食の魅力はもちろん、彼のこだわりを叶え日本の伝統美を取り入れた芸術的な建築意匠や装飾などが、開業以来、圧倒的な風格と存在感をもって多くのゲストを魅了し続けています。また、日本のホテル界、さまざまな文化事業においても、彼とその一族は、今も存在し続ける数々の足跡を残しています。
それは、ここ札幌の街にも。
創業者と一族に縁のある場所や物語を、ご紹介しましょう。

●世界大会が開催される、ジャンパーたちの聖地。

大倉山ジャンプ競技場
札幌中心部から西を臨むと山の斜面にくっきりと浮かび上がっているその姿。多くの旅行者や市民にとってもお馴染みの「大倉山ジャンプ競技場」。1972(昭和47)年札幌オリンピックの90m級ジャンプの会場として世界にその名を知られ、世界のジャンパーが集うワールドカップをはじめ、国内で最も多くの競技大会が開かれているラージヒルジャンプ台がある競技場です。山の宮様、スポーツの宮様と呼ばれていた秩父宮殿下とのご縁があり、創業者大倉喜七郎がこの競技場を建設し、寄贈させていただきました。札幌市民には、開場当時からの旧名大倉シャンツェ(ジャンプ台の意)という名前でも親しまれています。

●開拓時代の麦酒づくりにまつわる、大倉家の物語。

時は明治初頭。開拓の気運高まる北海道へと赴いた地質鉱物学者トーマス・アンチセル博士はこの地で野生のホップを発見。これを機に将来を見据えホップ栽培が始まり、明治9年、開拓使直営のビール醸造所が誕生します。そして翌年、開拓使のシンボルである北極星をマークとした冷製『札幌ビール』が生まれ、日本初の日本人によるビールづくりの黎明を迎えました。その後、明治19年北海道庁設立後に、私どもの創始者大倉喜七郎の父大倉喜八郎率いる大倉組商会が札幌麦酒醸造場(醸造所を改称)の払い下げを受けました。これが、現在のサッポロビール株式会社につながる第一歩となり、この頃のラベルにはOKURA&CO.と記されています。
翌年12月、渋沢栄一・浅野総一郎らにこの醸造場を譲り、札幌麦酒会社が設立されますが、以後大正13年まで大倉家は役員として在籍しました。北海道から日本、そして世界で愛されるサッポロビールの物語の中に、大倉家の歴史が重なっているのです。

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